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海水魚飼育の今昔




1970年代


さて1970年代に入ると,熱帯魚飼育でおなじみの上部モーターフィルターが既製品として販売されました。海水魚飼育には濾過容量が足りないため満足を得ることはできない器具ですが,熱帯魚の普及には一役買った一品と言えるでしょう。しかし海水魚飼育という意味では特に新しい理論とか新システム,画期的な器具が登場したわけではありません。

今から見れば,1970年代は日本の海水魚飼育において停滞期だったのかもしれません。これは基本的な理論が,既に1960年代にある程度完成されていることが大きな原因ですが,1973年と1979年の2回のオイルショックによる経済的な混乱の影響も大きかったように思います。さらに現在のようにインターネットで全国の同好の士と様々な事をディスカッションできるわけでもなく,行きつけのショップを中心とした人との交流かサークルがせいぜいでした。

無論,1960年代から観賞魚雑誌が刊行されていましたから,雑誌を読む人ならば知識や情報を手に入れる事が出来,誌面で盛んにアイディアや技術を発表されていましたから,アクアリストの飼育技術も確実に進歩していたとは思います。しかし現在と比べれば,その拡散速度が大幅に遅かったのも事実。全国レベルで見ればまだまだ日本は広く,おもしろそうなアイディアも貴重な飼育経験もスタンドアローンで完結せざるを得なかったことも多かったでしょう。したがって,サンゴ飼育法のように新たな飼育技術等の情報がアクアリストの間に一気に浸透することもなかったわけです。

それでも海水魚に関して言えば,順調に輸入先が増えています。1970年代中頃にはスリランカから中部インド洋の魚が入ってくるようになり,ワヌケヤッコ,インド洋タイプのタテジマキンチャクダイ,インディアンスモークエンゼル(クロシテン)等がお目見えしています。

さらに1970年代の終わりごろにオーストラリアからクイーンズランドイエローテールエンゼル(当時は東オーストラリアと西オーストラリアに生息するものが同種とされていたので,一括してパソニファーとして東オーストラリアに生息するC. meredithi が主として輸入されていました),スクリブルドエンゼル,レインフォーズバタフライ,ブラックバタフライ等,オーストラリア固有種が紹介されています。

この時代,かなりのインフレでしたから1970年と1979年を比べれば大卒初任給や物価などがかなり異なるのですが,オイルショック前の魚の値段に関しても,フィリピン等から来るものは現在とあまり変わりませんでした。インド洋の魚達もオーストラリアの魚達も,価格は20年以上ほぼ据え置きと言えるかもしれません。ある意味海水魚は卵同様,価格の優等生と言えるのではないでしょうか(無論,ブラックバンデッドエンゼルやクラリオンエンゼルのように,様々な理由から近年になって値段が大幅に上昇している種類もいますが,それ以外大部分の海水魚はそれ程値段が上がっていません)。

とは言うものの,その価値が大きく下がった魚もいます。手元の資料で見る限り,1970年のクイーンエンゼルの価格は10万円となっています。オイルショックによるハイパーインフレ前である1970年当時の大卒初任給が約41,000円ですから,ヤッコ1匹が給料3か月に近いということで,婚約指輪並みだったわけです。おそらく,購入できる人は極僅かだったのではないでしょうか。しかしそのクイーンエンゼルも,現在では値段が半分以下(店によっては1/3程度)になって輸入される量も随分と増えたため,すっかりポピュラー種となりました。円がドルに対し強くなったとはいえ,資産的な価値という点で見た場合の減少度合いがいかに凄いか,再確認させられます。





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