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海水魚飼育の今昔




1980年代


1980年代になると,海水魚飼育を巡る環境が大きく変化します。そう,各種テスターが普及し始めたのです。高額な商品ではありませんが,飼育者がアンモニアや亜硝酸の濃度を手軽に知ることができるようになり,これまでのように勘とか何となくそろそろだろう,といったあやふやな判断ではなく,きちんとした数値を元に飼育環境をモニターできるようになったのです。

濾過の理論そのものは1960年代にとっくに完成していたにもかかわらず海水魚飼育が困難だった理由は,所謂濾過が立ち上がったかどうかを判断する術が魚の状態から判断するしかなかったからでした。濾過バクテリアは目に見えず,どれだけ繁殖したかを知る方法は現在でもありませんが,代わりにアンモニアや亜硝酸という毒性物質そのものを測定することが可能であれば問題は一気に解決したのです。

これらテスターの登場は,所有水槽の管理や新しい水槽の立ち上げに際して,水質関連のトラブルを早期に発見して対処できるツールを与えることとなり,海水魚飼育の難易度を一段下げる結果となったと言えるでしょう。

この他,国産のUV殺菌灯の発売や西ドイツ製オゾナイザーの再販等,飼育器具の発展・システム化が著しく,人工海水の性能も格段に向上します。また,海水魚飼育で主流になりはしませんでしたが,エーハイム社の外部密閉式フィルターが日本で一般的になった(広告宣伝が大規模になった)のもこの時期です(観賞魚誌を見ていたら,既に1968年に当時の友藤総本社から発売開始の記事を発見しました。ただその後はあまり広告を見かけなかったため見逃していたようです。まあ,当時のお金で濾材付きとはいえ定価 21.800円とかなり高額でしたから,あまり普及しなかったのかもしれません)。

私が海水魚飼育を始めたのもこの頃ですが,今思い返してみると海水魚だけ(海産無脊椎動物を考慮しない)であれば飼育システムとして十分なレベルに達していたと思います。しかし,新しく始めようとする人にはまだ敷居が高い世界だったかもしれません。

この時期の基本的な考え方は,いかに物理的な制限(スペースの問題)の中で濾過槽と濾過面積を大きくするかでしたから,オーバーフロー方式が飼育システムの到達点と考えられていました。濾過システムにも久しぶりに変化が見られ,1980年代の中ごろには海外からウエット式濾過の改良型であるドライ&ウエット方式が紹介され,国内でも使用する人が出てきています。

この変化に呼応するように,ヤッコの仲間に限っても1980年代前半にはオーストラリアから(実際はアメリカ経由ですが)コンスピキュアスエンゼルがお目見えし,また紅海の魚が不定期ながら再輸入されるようなり,今では考えられない程高額でアズファーエンゼルが登場。しかしこの時期,アズファーエンゼルの入荷量はごく少数でした。

中部太平洋からはグリフィスエンゼルやゴールドフレークエンゼルが,さらにゲニカントゥス属のマスクドエンゼルも日本に入って来ています(最初の輸入の際にはショップを通していないため,実物を見た人は極わずかでしたが)。ケントロピーゲ属の小型ヤッコもダイダイヤッコやマルチカラーエンゼル等,様々な種類が見られるようになり,1980年代中頃にはホツマツアエンゼルも輸入されています。

チョウチョウウオの仲間でも,バーゲスバタフライやマルケサンバタフライ,インディアンバタフライといった比較的深場に生息するロア亜属の仲間が日本に紹介されました。無論,第二次オイルショックから立ち直ったばかりか,1980年代中頃から既にバブル景気による好景気が始まっていましたから,金持ち気分に沸く経済状況と無縁ではなかったでしょう。





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