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海水魚飼育における雑談8



9.1960年代末にはなかったもの,そして許されていたもの



前回,1967年頃に広告が載っていた飼育器具として,外掛け式フィルターと吹上式濾過システムを紹介しましたが,今回は現在ポピュラーであっても1960年代末にはなかった飼育器具と,逆に現在ではほぼ不可能な記事について述べようと思います。

まずは無かったものから。



UV殺菌灯


ホビイストの海水魚飼育用としては,当初は米国品(レインボーライフガード)ぐらいしか広告を見ませんでしたが(1980年頃),現在では国産品も数社から製品が出されております。

「雑学」でも述べたように,主として253.7nmの殺菌線と呼ばれる波長の紫外線を用い,海水中の細菌類を殺したりウイルスを変性させたりする器具で,海水の透明度アップにも役立ちます。

ただし紫外線は水中では2cmぐらいしか到達しないので,なるべくゆっくりとUV管の周りを水が流れなければなりません。また,光なので水が濁っていると有効範囲が低下するため,十分な効果が得られません。そのため基本的には,最低でも物理濾過槽を通過した段階に,通常は物理濾過槽と生化学濾過槽(硝化作用をメインとする濾過槽)の後に設置することで最大限の効果を発揮します。

殺菌灯内の海水の流速については, 120cm以上のOF式水槽に使う強力なポンプと繋ぐ場合,それなりに大きな製品(30Wや40Wの製品)を用いた方が無難ですが,配管テクニックを用いて分配するなどの工夫を凝らし,設置数を増やせばより効果が期待できます。

また温度に関しても水温40℃が最も殺菌効率が良いと言われており,20℃ではかなり殺菌効率が落ちることも覚えておいた方が良いでしょう。したがって,深場の魚を飼っていて水温を20℃以下に設定している場合,あまり効果は望めないようです。

このように便利な器具ですが,残念ながら1960年代のアクアリストはその恩恵に与れなかったようです。無論研究という面からすれば既にこの頃には十分検討されており,海外に目を転じてみると1970年代にはアクアリスト向けの商品が発売されていたようで,なぜか日本では取り上げられなかっただけという事らしいですが。

国内各社から様々な商品が出されている現状を見ると,時代の進歩による恩恵をひしひしと感じるのは,私だけではないでしょう。



プロテインスキマー


ドイツで考え出されて製品化された器具で,今や日本の海水魚飼育においては非常にポピュラーなものになりました。とはいっても日本で普及し始めたのは1980年頃からだったと記憶しています(少なくとも東京方面では)。

一時期は結構大型の商品や自作品が主流だったものの,今では小型でも様々な工夫が凝らされた製品が多数販売されています。 

この製品も普及当初は西ドイツ・サンデル社(オゾナイザーのメーカーとして良く知られています)製の,今から見ればかなり小型な物しかありませんでした。当然このサイズではベルリン式のサンゴ水槽で使うには不十分だったようで,1990年代になるとパスタケース等を用いて大型のものを自作する人が現れます。この頃のプロテインスキマーは,エアーウッド等を用いた方式で構造が単純だったため,大型化が個人レベルでも可能だったようです。

1980年代初めでも,無脊椎動物を飼育している人からはその効果が認識されていたようで,この頃から輸入品がぼちぼちと海水魚ショップで売られ始めました。またオゾナイザーとの併用で魚水槽でも使用する人が出始め,幾つかのショップでその有用性を盛んに宣伝していたことを覚えています。

プロテインスキマーも,1960年代末から1970年代初め頃の観賞魚誌を見ても広告が見当たりません。また海外ではこの頃から商品が売られていたのか,資料が無いのでわかりません。私は使ったことが無いため今一つその必要性を実感できていないのですが,設置することでそれなりの効果が出ることは確実です。海外品を含め,UV殺菌灯よりもはるかに多くの商品が開発されている現状を見ると,これも時代の進歩による恩恵なのでしょう。



次に1960年代末には許されていたものの,現在では難しいものです。といっても器具ではなく情報ですが。



海水魚の採集場所に関して


1967年,1968年の観賞魚誌を見ていると,今からすれば考えられないような記事を目にします。現在では採集場所に関して,インターネットを含むメディア上で特定できる情報を上げることはタブーとされています。しかし1960年代末頃は,今とは状況が異なっていたようです。

具体的に言うと関東地方の死滅回遊魚の採集場所が実名で,しかもどんな魚が採れるのか場所の簡単なイラスト入りで公表されていました。ある意味,死滅回遊魚採集を始める人にとって,ハードルが低かったと言えるでしょう。 

幾つか例(記事の表題)を挙げると,「磯魚の漁場案内記」や「伊豆大島で魚をとろう」といったストレートな文言が誌面を飾っていました。前者は三浦半島と房総半島の採集場所を結構詳しく紹介したもので,後者は題名通り伊豆大島の採集場所を紹介したものです。

本当に昔は今に比べて大らかだったのだな,と思います。尤も記事を読む限り,採集できる豆チョウの数も今とは比較にならない程多かったようです。この記事を見て豆チョウを採集に行った人もそれなりにいたようですが,昨今見受けられる程,各採集場所に人が殺到する事は無かったのかもしれません。

これはそもそも,死滅回遊魚の採集人口を含め海水魚飼育を行う人が少なかったことが原因ではないでしょうか。皆さんが採集に行く場合,荷物や輸送の関係上大抵の場合は車を使って行動すると思います。しかし1967年頃の自家用車普及率は今と比べればずっと少なかったでしょうし,相対的に見れば今に比べて海水魚飼育器具の値段も高かったでしょう。

何しろ観賞魚誌の記事で採集場所の詳しい情報を紹介し,採取を勧めるということは近年ではまず行われないでしょうから,観賞魚誌側でも大きな悪影響は出ないと考えていたのだと判断できます。 

ただ最近は自動車道路が整備され,また飛行機での移動も地方空港が整備され,採取場所へのアクセスが昔に比べ格段に便利になっています。そしてそれに対して,死滅回遊魚の関東地方の沿岸に流れ着く数が多くなる要因はあまり考え付きません。

実際のところ,むしろ少なくなっているのではないかと思ってさえいます。私自身はデータを持っていないため,あくまで主観に過ぎないのですが,1960年代末の記事を見ていると当り年だったとしても現在では考えられないような観察(採集)記録が掲載されていることが理由の一つです。 

まあ,日本列島の自然自体が50年前に比べ貧弱になっている事は紛れもない事実ですので,昆虫採集等と同様,海水魚採集も個人で飼いきれるだけの数を持ち帰る事をお奨めします。90cm規格品より小さい水槽では,たくさん持ち帰り飼育していても1〜2年後には各種1匹ずつしか残っていない,などという事は結構あるのではないでしょうか。 

最後に,漁師の人とのトラブルはこの頃もチラホラとあったようで,今も昔もトラブルの種は尽きなかったようです。採集はルールとマナーを守って行いたいものです。 







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