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海水魚飼育における雑談5



6.思い出のショップ


私が海水魚を飼育し始めたのは1981年の春頃でした。きっかけは春先遊びに行った伊豆の海で釣りと磯遊びをして,その際に捕まえたカニや釣り上げたダイナンギンポを持ち帰ったことでした。

玄関の下駄箱の上に,以前金魚を飼っていた60cm規格水槽を設置して飼い始めましたが,それに比重計とサーモスタット,ヒーターを加え,上部モーターフィルターで濾材は淡水用の砂利というとんでもないシステムです。それでも持ち帰った数匹のヒライソガニとヤドカリ,そしてダイナンギンポは環境変化にも強く,2ケ月程なんとか生きていました。



さて飼育開始時の私は,観賞魚誌が発売されていることも知らず,飼育知識も水生昆虫や淡水魚のもの以外は全く持っていませんでした。

そして水槽設置から3ヶ月後,私は以前TVで見たホンソメワケベラを飼ってみたいという欲求に負け,池袋のデパートの熱帯魚売場に行き購入したのです。しかし先に述べたように,何も海水魚飼育の知識が無ければ上手く飼えるわけがありません。特に濾過細菌のことなど,欠片も知識を持ち合わせていませんでしたから。

ということで今考えれば当たり前ですが,買ってきて1〜2週間で落としてしまうことが続きます。最初から入っているカニやダイナンギンポは元気で生きているのに,なぜか新たに飼ってきた魚は死んでしまうのです(無論,今なら当たり前のことなのですが)。そこでやっと,このままではいけないと考えた私は近場で海水魚ショップを探し始めたのです。

今のようにインターネットもなく,観賞魚誌も持っていない私が頼ったのは電話帳でした。この辺りに時代を感じてしまいますけど,手近には他に資料等ありませんから仕方がなかったのです。



そうしてしばらく後(秋ごろ)に訪れたのが,東京は練馬区の石神井公園駅から5分ぐらいの場所に合ったSという店でした。私が最初に訪れた頃は,海水魚と淡水熱帯魚の比率が2:1でしたが,数年後には海水魚専門ショップになりました。

これは当時としては結構珍しいことでして,私が知る限りこの頃海水魚のみを扱っているショップは,このSと上野にあるHをはじめとして数店だったと思います。海水魚業界では中野のYというショップ(実家から自転車で飛ばして30分ぐらいの場所にありました)も古くから知られていましたが,比率こそ大きいもののこちらは最後まで淡水熱帯魚も扱っていました。

この頃の移動手段は電車ですから,持ち帰ることを考えるとそれ程遠い店には行くことができません。石神井公園のS店,中野のY店(どちらも今はありません),それに上野のH店(の系列である新宿のデパートの方が多かったですが)は結構良く行きましたが,個人的に一番思い出深いのはやはり石神井公園のS店でした。

このS店は1960年代終わりごろから海水魚の輸入代行を手広く行っていた(有)博陽という会社が運営するショップで,東京へのフィリピンからのルートやスリランカ,オーストラリア等からのルートを最初に開拓しただけではなく,鳥羽水族館に初代のジュゴンを持ってくる際に尽力されたHさんが社長でした。

そのためフィリピンルートの魚に関しては,ヤッコやチョウチョウウオだけでなくマイナーなもの(ヤリテングやシオマネキ等)も含め非常に多くの種類が取り揃えられており,こちらのかなり細かいオーダー(何cmぐらいのこの種類が欲しい等)に迅速に応えてくれたものでした。 

最初に店を訪れた際,素直に初心者であることを告げた私に,Hさんは海水魚飼育の基本を30〜40分ぐらいかけて懇切丁寧に教えてくれました。取り敢えずの処置として,上部モーターフィルターの濾材を小豆大のサンゴ砂に変えること,濾過能力アップのため底面フィルターを設置し,濾材はやはり小豆大のサンゴ砂とすること,量はどれぐらい必要か,そして最も重要な濾過バクテリアに関しての知識といった具体策を授けてもらいました。言われた通りにシステムを改造し,濾過バクテリアの繁殖に必要な一定期間を経てからは,今までより遥かに魚達を長生きさせられるようになったのです。




最初の海水魚水槽(60cm規格品)





1982年の秋に住んでいた家を建て替えた際に,Hさんに相談したうえで玄関に90×45×45のOF水槽を設置して本格的な飼育を開始しました。当時の私はまだ経験も乏しく,少しでもスペースを節約して多くの魚を飼いたいと考えており,下段の濾過槽も90×45×45水槽として分割式の底面フィルター(水槽底面にほぼ等しい)を設置。そこに小豆大のサンゴ砂を10〜12cm程敷いて濾材とし,レイシーのP425(縦型ポンプ)で循環させながら濾過槽兼飼育槽とすることで満足していました。

もし今の私であれば,このシステムでは物理濾過槽や殺菌灯の設置が難しいためまず選択しないのですが,この頃はまだOF式でウールボックスのような物理濾過槽を設置することは一般的ではなかったのです。

ともあれ,Hさんの指導を受けて海水魚飼育に必要な最低限の知識を得たこと,そしてOFシステムを得たことで,ようやく当時は憧れであったタテジマキンチャクダイやアデヤッコの幼魚や未成魚を飼うことができると,私は海水魚飼育にのめり込んでいく事になったのです。

その後もHさんからは,海外から輸入された魚達の状況や受け入れ先でのリカバリー(水合わせ)の仕方,魚種ごとの性質や飼育ポイント,魚病への対処法等,その当時の最新の知識を教えてもらうだけでなく,実際にその作業を見せてもらったりしながら経験を積ませてもらう事になります。

それらの知識は,1982年の秋にHさんが執筆された飼育書「世界のサンゴ礁をつれてくる」に惜しげもなく記載されましたが,当時,それまであった飼育書や観賞魚誌のどれよりもまとまっていて実践的でした。今でも私の海水魚飼育に関する知識や技術は,Hさんから学んだことがベースになっています。




90cm・2段水槽(OF式)


私が東京に住んでいた時に一番お世話になったショップはS店でしたが,Hさんも高齢のためか1998年(ちょうど私が今の場所に転居した年でした)にS店を閉められ,その後数年で(有)博陽も辞められてこの業界から引退されました。

もう何年か前にお亡くなりになりましたが,今でもあの頃の事は楽しい思い出となっております。

Hさんは間違いなく,私の海水魚飼育の最初の師匠でした。東京に住んでいたころ通った事のあるショップも,S店やY店をはじめ今ではほとんどが無くなってしまい,時代の変化というか時の流れを感じ寂しい気持ちになるのは,私が歳を取った証拠かもしれません。







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