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海水魚飼育における雑談29



31.最初に見たと記憶に残っている熱帯性海水魚


「海水魚における雑談5」にも書きましたが,私が最初に海水性生物の飼育を行ったのは1981年春です。ちょうど中学生の頃でしたが,最初に水槽に泳がせたのは色彩的には地味な近海魚(ダイナンギンポ,ウミタナゴ,タカノハダイ)とカニでした。

その後しばらくして,徐々に熱帯性海水魚へと飼育対象は移っていくのですが,海水魚を飼育したいという想いが芽生えたのはこの時よりもずっと前でした。



私が海水魚を自分の眼で初めて見たのは,記憶を探る限り幼稚園から小学校低学年の頃の上野動物園の水族館だったと思います。ただ小さいころの記憶なので,どんな種類が展示飼育されていたかよく覚えていません。確かクマノミやチョウチョウウオの仲間も展示されていたと思いますが,ドチザメとかネコザメといった魚達の方が強く記憶が残っています。

昔の水族館の展示水槽は,海水魚ショップや我々の水槽に比べ大きく高さもあるためか,どうも全体に暗かったように思います。そのため,熱帯性海水魚がいたとしてもそれ程綺麗に見えなかったのかもしれません。

そしてほぼ同じ頃,もう一ヶ所海水魚を間近で見られる場所がありました。こちらの方が水族館よりも記憶が鮮明なのは,見た回数がそれだけ多いからでしょう。

その場所は当時住んでいた東京で,最寄りにある池袋西武デパートの地下にある鮮魚店です。無論鮮魚店ですからサンゴ礁の魚などおらず,ハマチやタイ,アジ等が泳ぐ150〜180cmぐらいの水槽で,夏場にガラス面に触ると冷たかったのを良く覚えています。

この活魚水槽は,当時の私のお気に入りでした。親に買い物に連れて行かれるたびに見ていたのは良い思い出です。

無論当時も,屋上にあった観賞魚売り場にも行ったこともあったのですが,なぜか金魚や錦鯉の記憶しかありません。ひょっとするとこの頃は,観賞魚としての海水魚はそれ程取り扱っていなかったのかもしれませんが,今となっては分からない事です。



ここまでの記憶には熱帯性海水魚はでてきませんが,いよいよ私のカラフルな海水魚との初対面の記憶(あくまで覚えている範囲で)です。場所は小学生の社会科見学で行った,台場にある「船の科学館」の食堂(だったと思います。たくさんのテーブルとイスがあったので。)でした。

そこにかなり大きな水槽(120cm以上あったと思いますが,自分の身体も小さかったので大きく感じたのかもしれません)が設置されていて,その中に乱舞していたルリスズメの群れと,何匹か混泳していた10cm を超えるハタタテダイの成魚が私の眼を奪ったのです。特にルリスズメは,水槽が明るかったため私に非常に強烈な印象を与えました。

今から思えばおそらくリース水槽だったのでしょうし,混泳させている魚も種類が少なく満足のいく水槽構成ではありませんでした。しかし,世の中にはこんなきれいな魚が実際にいるのだと感動したことを覚えています。

現在の私の飼育水準から見れば,何匹か死んだルリスズメの遺体が水槽の底に転がっていたので,あまり良い環境を維持できていなかったことが分かります(まあ,ルリスズメが100匹近く泳いでいたので,1匹も落とさずに飼う事はかなり難しい事も事実です)。

しかし「海水魚今昔」に書いたように1970年代半ば頃ですから,まだまだ一般家庭では海水魚飼育という趣味がそれ程普及していなかった時代のため,未だ熱帯性海水魚を扱っているショップの存在すら知らなかったこともあり非常にインパクトがあったのです。

その後,小学校高学年の頃には近くの金魚屋(熱帯魚ショップではなく水生昆虫や川魚を売っていた店)で120cm水槽に人工海水を使ってイソスジエビやイソギンチャク等を売っていた事を覚えていますが,私としてはあまり食指が動きませんでした。当時の私にとって,熱帯性海水魚はせいぜいTVで見るか水族館等出かけて行って見るものだったのです。



このルリスズメとの出会いから私が実際に海水魚飼育を始めるまで,何年もの時間がかかるのですが,今では私の好きな魚達を水槽で飼い,それを毎日見ることができるという幸せを満喫しています。

夜,会社から帰ってきて,魚達がワラワラと寄ってきて餌をねだる姿を見ると,うきうきと餌に手を伸ばすのは飼育当初と変わりません。

尤も水槽構築計画に従って飼育魚を制限しているため,現在の水槽にはルリスズメは泳いでいませんし,今後も入れる予定がないのが少しだけ残念です。







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