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海水魚飼育における雑談14



15.昭和70年頃の公害問題


1970年前後の日本は,現代ではありえない程深刻な公害問題に直面していました。今のように企業が環境対策にお金をかけることが当たり前,という時代ではなかったのです。ちょうどほんの少し前の中国と同じように煤煙も廃液も浄化装置を通さずに,空に川に海にストレートに垂れ流していた高度経済成長時代の負の側面とも言えます。

この頃有名だったのは四日市コンビナートの工場煤煙や田子の浦港ヘドロ公害等ですが,私はまだ小学校に入る前でもあり,当時の事はあまり覚えていません。せいぜい光化学スモッグや怪獣映画の「ゴジラ対ヘドラ」を見ておぼろげに大変なことなのだ,と感じた程度でした。

1971年の観賞魚誌を見ると,当時海水魚採集の記事を多く手掛けていたS氏が公害による採集地への影響を幾つか挙げています。



まず公害が大々的に問題になる前からあったという,太平洋を航行する汽船による廃油放流による磯の汚染。また油槽船沈没による油汚染等もあったようです。

油による汚染は,磯の岩にこびりついたり微小な塊がタイドプール内に浮かんでいたり,海底の砂の中に混ざったりする被害をもたらしていました。

ただでさえ滑りやすい磯で,藻に加えて油まであったら危険極まりないということの他に,砂の中に混ざった微小な油の塊はなかなか消えずに海水中に漏れ出てきたりします。

タンカーや油槽船が沿岸で座礁したり沈没したりして,積載していた原油が流れ出して海岸一帯が真っ黒になり,海鳥が油にまみれた映像よりは比較にならない程小規模でしょうが,基本的には同じ事が起きると考えてよいでしょう。



廃油等の油類以外に海を汚染するものは何と言ってもヘドロです。とはいっても,実はヘドロの定義というのは曖昧なもので,元々は「元来,河口,沼,湖,湾のそこに堆積する超軟弱な泥のこと」というぐらいのものであり,それが駿河湾,東京湾などの工場排水や産業廃棄物による公害問題では汚泥(汚染物質を含む泥)そのものをヘドロと言うようになったそうです。

20 世紀初頭の日本では,急速な工業化(軽工業,繊維工業,食品工業が中心)に伴い有機性の産業廃棄物が,河口・沿岸域に大量に堆積してヘドロ化していきました。



有名な田子の浦港のヘドロ公害は,沿岸に工場を持つ4つの製紙会社の廃液が原因であり,広範な漁業被害を出した水質汚濁を始め,大気汚染や悪臭といったあらゆる公害現象を引き起こしました。

そしてヘドロは,潮の流れによって西伊豆大瀬崎付近まで押し流され影響を及ぼしたようで,海水が褐色になって透明度が低くなり浮遊物が海中を漂い,魚は全く見られなかったと書かれていました(無論,風向きや潮の流れなどでヘドロが運び去られ,海中がきれいに戻ることもあったでしょう)。

海の中がこのような状態となった時には,付近の磯は台風や大雨による褐色の海水となり,さらに近づくと臭かったのではないでしょうか。また那智勝浦でも製紙工場の廃液による公害被害があったようでした。



海の浄化能力というのは偉大なもので,廃油の放流や工場の廃液垂れ流しを法律で禁止して供給を止めた結果,現在の磯でこれらの影響の痕跡はほぼ残っていません。今では工場の浄化装置の故障やタンカーの座礁でもないかぎり,油やヘドロが海に大きな被害を与える事はなくなりました。

ダイビングや採集をする人にとって,海中に魚がいないような状況は耐え難いものがあります。自然の浄化能力は素晴らしいですが,人間社会はその処理能力を上回る汚染を容易に作り出せるという事に留意しなければなりません。

今では各種法律が整備され,公害対策の技術が進歩したことによって1970年頃のような公害問題は起こり難くなっていますが,採集家がホームとしている磯が油やヘドロで汚されることの無いよう祈るばかりです。







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